民謡クルセイダーズ『会津磐梯山』
The Belligerents『Science Fiction』
白い朝に咲く
『日々の泡』
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切り裂くような声。こういう声は、自我がやむにやまれず噴火のように表面に出ていく、その時の勢いのようなものを積み重ねるなかで形成されていく声なのだろうと思う。内面を表に出さず抱え込む人には獲得できない、ましてやたいした内面を持たない人であれば絶対に到達することのない声、なのだろうと思う。それは声に限った話ではなく、サウンドも同じことで。こういうバンドと一緒に仕事をするのはきっと骨が折れるだろうなあと思う。内面を持っていて、そしてその内面を大切にするが故に他者に譲らず。本来それはアーチストとして必須の要件なのだが、だからこそ、周囲で動く者たちを巻き込んで、疲弊させるのではないだろうか。この動画は8分37秒あって、やけに長い曲だなあと思っていたらHPの新譜特設コーナーの解説によるとどこかのフェスでこの曲1曲だけを20分演奏したとか。それはとても緊張感を伴ったステージだっただろう。だが、その緊張感に感動を覚えるリスナーと、戸惑って心を離れさせるリスナーとどちらが多いかというと一般的には後者であり、それゆえに、フェスのステージを管理するスタッフからすればヒヤヒヤだし、彼らにスタッフという立場の人がどうこうしていればさらにヒヤヒヤした瞬間だっただろう。
それでも、そういう表現をする人は必要なのだと思う。必要なものと不要なものとの区別がつかない表現者であるが故に冗長によって長くなる表現は御免だが、必要なものを切り捨てることが出来ずに長く在る表現というのは、その長さがある種の摩擦を持つが故に、リスナーに時として気付きを与えることがある。だから、そういう表現をする人は必要なのだ。そういう表現の価値を理解する上で、御免なくらいの冗長な表現とセットで、世の中には必要なのだ。では彼らの音楽表現が一体どちらなのか、それは成長過程の彼らに対する結論などまだ早い。だが、結論に至らないということは、現時点で単なる冗長であることが露呈しているのではないということでもある。よそ見をしながらではなく、画面にスピーカーに正面から向き合って、聴いてみる価値はあると、今のところ思える楽曲だった。
(2017.11.28)
(レビュアー:大島栄二)
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