吉澤嘉代子『残ってる』
YeYe『ゆらゆら』
桑田佳祐
『君への手紙』
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誰にでも多少の悩みや苦しみがある。だがそんなことを言葉にして訴えるのは恥ずかしいからグッと胸にしまい込む。他人の営みは輝いて見えて、だから余計に自分の苦しみが大きく感じられる。その輝いて見える誰かの胸にも、しまい込まれている何かが在るってことには気づかなくて。羽のない鳥が本当にいたなら見るからに不幸を感じ取ることができるだろう。櫓のない船を漕いでいる人がいれば、バカだなあそんなことやったって無駄だよと声をかけることができる。でも、それが比喩的な描写であることは当たり前のことで、隠された失われている羽に僕らが気づく術はない。
表現者の役割とは、そんな見えない「羽のない鳥」を可視化することであろう。キミはいつも冷たい雨に打たれ、傘もささずに旅をする。そんな苦しい旅をしているということにもなかなか気付けない。自分のことだから気付けばいいのにと人は言うが、自分のことだから気付けないのだ。鏡を持たない人に自分の顔が見えないように、第三者からは明確に見える自分の顔が見えないように。そうして、冷たい雨に打たれていることさえも知らずに、震えながら旅をする。
自分で気付ければ、傘をさせばいい。知人がそういう旅をしているのを目にすれば、傘を差し出してあげればいい。だが、なかなか気付けない。旅の途中で体温を失い、路傍に倒れてしまうまで、不思議なことに気付くことはできないのだ。
だから、表現者は表現をする。比喩的に現されたそういう真摯な表現によって、僕らは自分の苦境に気付くヒントを得る。表現のすべてがヒントになるとは限らない。だが稀に、そんな表現が混じって目の前を過ぎる。この歌も、きっとそうだ。そういう表現を、たくさん浴びれば、きっとそれが自分の糧になる。苦しい時に、自分を客観的に見るための鏡になる。客観的に見さえすれば、自分と他人を不当に比較する必要からも解放され、もっと楽しく生きることもできるのではないだろうか。
キミとボクは同じ空の青さに魅せられながら生きている。本当にそうだ。そんな共通の何かに魅せられ語り合える手紙を、僕は君にまた書きたい。
(2017.10.22)
(レビュアー:大島栄二)
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