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白瀬百草
『hoshinoie』

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 ゆっくりとしたギターにゆっくりとした歌が載ってくる。これをスローと呼ぶのかルーズと呼ぶのかは人によるのだろうし、どちらかに完全に決めつけることも個々の人自身の判断としても難しいのだろう。20歳前後の女性が華やかに世の中に出るひとつの手段として、かつてはアイドル歌手があり、そのうちにグラビアアイドルというのが主流となり、やがてアイドルグループの一員というのが一般的になった。その時代その時代に若い女性がなりたい何かが主体的に変わったのではなくて、その時代その時代にメディアが求めたものがたまたまそうだったというだけのことで、その出口に向かって、その時代の若い女性が自分を合わせていったというのが実態で、だから彼女たちはアイドル歌手になりたかったわけでも、グラビアアイドルになりたかったわけでもなく、華やかに世の中に出たかっただけなのだろう。
 しかし華やかに世の中に出たいからとはいえ、自分を特定の何かというスタイルに合わせるということには当然ストレスがかかるわけで、自分とは何かを持っていると自負している人には、自分を他の、メディアが求めている何かに当てはめていくということがどうしても我慢できない。かつてであればそういう不器用な人は華やかに世の中に出ることは到底出来ないし、華やかでない形で世の中に出ることさえも困難だった。しかし今は、自分はこういう者ですよということを、勝手に公開することができる。それもネットというメディアに形を合わせているだけだなどとまでは言うまい。そのやり方が華やかであるかどうかは別として、自分がまだ何の形に合わせているのかさえ未定な状態のまま、世の中に公開することができる。この白瀬百草という人のゆっくりとした歌を聴きながら彼女のtumblrを眺めていると、まだ何でもない自分を何かに合わせていくことに激しく抵抗している過程なのだろうと感じ、とても興味深い。世の中の求めに応じて自分を合わせていくという生き方を成長と呼び、それができる人を大人と呼ぶのなら、いっそ成長を拒み子供のままでいるという生き方も、僕は良いと思うし、そういう生き方ができる時代になりつつある、そんな時代だろうと思う。つまりそれは、過去には子供と切り捨てられるような人生を歩む、あらたな大人像が存在可能になっていくということだ。彼女がそうなるのか、そうあろうとしているのかについてはよくわからないが、一般論として、そういう生き方に可能性を見出そうとしている人は増えているのではないだろうか。もちろん、そういう生き方は可能とはいえまだまだ難しい。しかし「大人」な生き方だって割と難しい時代だから、どっちを選んだって変わらないよという気がする。
 歌ってる人のことにあまり触れなくてごめんなさい。僕はこういう歌、好きですし、こういう人、好きです。今後どうなるのかまったく読めないけど、何らかの形で発信を続けてもらえればと切に願っています。
(2017.9.2) (レビュアー:大島栄二)
 


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