クラシックなのか、環境音楽なのか、現代音楽なのか、アンビエントなのか。単純に、短い楽曲の中で繰り返されるフレーズが綺麗で、なかなか次の動画に飛んでいくことも出来ずに何度も見て、聴いてしまったのである。なんなんだろうか、このインパクトは。それがこの Tia Rungrayを取り上げた最大かつ唯一の理由である。おそらくはクラシック畑からこういうポストクラシカルに自分の表現の主軸を移したであろうアーチストは、活動の場所をどこに定めるのかという最初の段階で苦労する。普通のロックバンドならばライブハウスで活動してツアーをしてなどとだいたいパターンは決まっているのだが、ポストクラシカルのアーチストはまず鍵盤を使える会場を探さないといけない。会場に備えてあるのか、備えてなければ自分で持ち運ぶか。軽いキーボードならば持ち運びも楽だが重い鍵盤タッチのものはそれ自体がとても重い。会場も鍵盤が似合うところというと限られてくるし、アコースティックギター弾き語りの人たちと混じってこのインストポストクラシカルを演奏して、一体どのくらい伝わるのだろうか、等々。考え始めるともうライブとか止めちゃってネット上で広めていく方法を云々とか考え始めてしまって。でもライブもしたいよなあ、たとえどの会場でもアウェイ感漂ってたとしてもライブしたいよなあ、と普通は考えるものだ。いや、Tia Rungrayさんがそう考えるかどうかは別として。
まあそういうアーチストの活動の背景とかはリスナーにはあまり関係ないことだし、普通のロックバンドでも客を呼べなきゃライブはアウェイ感に苛まれるのだし、今ここでどうこう言ってもあまり意味のないこと。なのでこの2分ちょっとの映像と音楽を見てどうなのかということで、個人的に思うのは、ストイックに淡々と鍵盤を弾く彼の姿とフレーズひとつひとつが持つキレの良さが、飽きさせない何かを持っているなあということ。他の動画を見て聴いてみると、耳に優しくないノイズが多用されているものもあって、HPでは「暴力的で獰猛なノイズの融合」と書かれてて。だからそれは意図的に組み込まれているノイズなのだろうと想像するのだけれど、それによって表現される「狂気」の価値と、それによって耳を塞ごうとする人たちの数とを考えると、一体どうなんだろうなあと、余計なお世話ながら考えてしまったりする。まあ一般ウケを第一に考えるのであればそもそもインストもポストクラシカルもやらないのだから、ただひたすらに自分が求める「表現」を追及していくのが正解なのかもしれない。1リスナーとして、あまりノイジーではないこの曲を、ここでは。