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安藤裕子
『パラレル』

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 転倒のときに彼は何を想っていたのだろうなと考えるくらい不粋なことはない。きっと今日の昼御飯や納品管理がどうとかそんなもので、だから、別に床で存在がこけても、連絡が褪せても、どうも想いもしない。ELTやジュディマリが好きだったな、くるりの「ばらの花」はいい曲だって言っていたな、なんかうろうろと大阪や京都の街をまわったな。基本、彼はやわらかな女性の声の中にひそむ気丈な想いに背中を押され、またドライヴ・ミュージックにしていたのだろう。だからとても繊細な一面を持っていたのも道理で感じながら、そういうのとは無縁な場所でいつも動き、おいしそうに煙草をふかしていた。

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 ライヴは一回だけ二人で、安藤裕子の大阪のライヴハウスのもので、ノリもわからず、ライヴは向かないなと仕切りに言い、でも、この曲と小沢健二のカバーの「僕らが旅に出る理由」で肩を揺らしていたのを見たなと想うと、ほんのささやかなことで永く続く絆と、ほんの大きなことで蘇るつながりがあるのだなと感じる。

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 天災や人災によって結び直せる言葉、または断絶や過去、想い出、憎悪、恩赦、せめてもの互恵、数えきれない落胆。時間とともにそれらは軋んでいってプレゼントにあげたぬいぐるみだけが土砂に埋もれていたりしても、「どこかに行った」のだと、どこか何か良い好機があって向かったのだと思うと、やっていけないことは、ない。そんな風に、時流は砂塵を巻き上げる。ずっとそこに留まるのではないよ、と戒めるみたく。だから悲しみをすりぬけて進むしか、誰も想い出せなくなってしまう。忘れきってしまう。

 歌とは、ずっと歌い継がれる理由はフォークロアのような神話伝承のような何かに人間はまだ囚われつづけているからで、なんて。でも、そういう仮説は時にはわるくない。海や自然に還るのも程ほどにして。今、進行形の安藤裕子のモードも非常にいいながら、過去の曲群のいくつもとともにシンクロするようになぜかナイーヴに深い心の奥に居座り続けるものが多い。なんとなく私的な慕情の一篇とともにこの曲と、まだうねった道のつづきがあるように。

  走れよ
  ああ 風が吹いて 始まりだよ
  さあ 手を取って あの海へと
         (『パラレル』)
(2017.7.17) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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