古賀小由実『くものすきまに』
The Wisely Brothers『サウザンド・ビネガー』
Tara Jane O'Neil
『Elemental Finding』
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最近アルバムをリリースしたタラ・ジェイン・オニール。マルチなタレントで活躍する彼女の、曲はもちろん良いんだけど、このビデオは一体なんなんだろうか? 家族だと思われる2人組が川や海に入っていく。そしてひとりがもうひとりを後ろ倒しにして水に沈める。そしてすぐに起こして水からあがる。多くは抱きあう。顔の水を拭ってあげる。何故、彼らはこんなことをしているのだろうか。解らない。想像できるのは、これは何らかの宗教儀式かもしれないということ。で、ググってみたら答えはあるものだ。キリスト教の洗礼の儀式とのこと。映画などで洗礼式のシーンなどを見ることはたまにあって、教会で頭部に水をつけるような所作がそれなのだが、このビデオで延々と繰り返される全身を水に浸す行為は映画などで見かけたことがない。それが特殊なことなのかどうかはキリスト教に詳しくないのでよくわからないが、初めて見たのでちょっとギョッとした。しかし日本でも滝に打たれる行などはあるし、燃えている火の上を歩いたりしてるのなんかも知らない人から見ればイカレた行為に見えるだろう。いや、知っててもイカレた行為にしか見えないけど。禅宗で座禅を組んで叩かれたりしてるのも、奇異に見えても何の不思議もない。
Lay down, lay down your armor
Your guards are already dead
Take a look at yourself in the water
And be your soft test
歌詞の終わりでこう歌われている。その「soft test」とはこの洗礼のことを意味しているのだろうか。儀式がtestであるわけはなかろうと頭では思うのだが、この映像を見せられると、うーん、これは確かに自分を試すような何か、そして自分と近しい人を試すような何かだなあと感じざるを得ない。
宗教というのは自分を一定のルールによって縛ることで生き方の基軸を得ることだと思っていて、僕個人はルールに縛られたくない派だから宗教に帰依するのには消極的なのだけれども、本当に自由に生きるというのは実際には難しい。自由な人と自由な人は特に利害に於いて衝突しやすいし、それが故に生き方が崩壊することもよくある。だから宗教によって生きる道を積極的消極的に関わらず獲得していくということを否定するわけではない。だがそれは固有のルールに自分を当てはめていくことだから、帰依していない人から見れば奇異にしか感じないような儀式を通過することも必要不可欠なことなのかもしれないなあと、このビデオを見ながらちょっと思った。
(2017.4.29)
(レビュアー:大島栄二)
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