一期一会という言葉には会者定離も付きまとう。最初からだれかと出会わないことで何かを回避できるならば、自分なりの庵に籠っていればいいものの、そうはいかない。その庵の近くで例えば、火事が起きて延焼して巻き込まれてしまえば、そこの過程で一会が生まれてしまう可能性もある。人間は社会の中で一応、規定されてヒトとして認められ、在るとされる要素も大事だが、昨今の急速に開発が進む人工知能は想像以上のヒトの分身すら越えてきそうな気配がある。AIからAGI、つまり、人工汎用知能 (Artificial General Intelligence)に向かっていて、そこから冗句みたいなASI、人工超知能 (Artificial Super Intelligence)に行くのではないかと議論が交わされたりしながら、あながちリアリティに欠けた話ではなく、そうなると、それらはどんどん複製、模倣の分化をはかり、増殖の果てで、(人工)知能はヒトをむしろ制御、囲い込んでしまうかもしれない。そうなると、『マトリックス』みたいな瀬での出会い、人の認知や記憶はどうなってゆくのだろうかと想像するとキリがないが、脳内の複写化という意味でいえば、まだ人の持つ審美の文脈は差異はあれど、そうすぐには揺らがない気がする。