来来来チーム『夢中人』 Next Plus Songマイアヒラサワ『話せてなかったこと』

古川麦
『Green Turquoise』

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 一期一会という言葉には会者定離も付きまとう。最初からだれかと出会わないことで何かを回避できるならば、自分なりの庵に籠っていればいいものの、そうはいかない。その庵の近くで例えば、火事が起きて延焼して巻き込まれてしまえば、そこの過程で一会が生まれてしまう可能性もある。人間は社会の中で一応、規定されてヒトとして認められ、在るとされる要素も大事だが、昨今の急速に開発が進む人工知能は想像以上のヒトの分身すら越えてきそうな気配がある。AIからAGI、つまり、人工汎用知能 (Artificial General Intelligence)に向かっていて、そこから冗句みたいなASI、人工超知能 (Artificial Super Intelligence)に行くのではないかと議論が交わされたりしながら、あながちリアリティに欠けた話ではなく、そうなると、それらはどんどん複製、模倣の分化をはかり、増殖の果てで、(人工)知能はヒトをむしろ制御、囲い込んでしまうかもしれない。そうなると、『マトリックス』みたいな瀬での出会い、人の認知や記憶はどうなってゆくのだろうかと想像するとキリがないが、脳内の複写化という意味でいえば、まだ人の持つ審美の文脈は差異はあれど、そうすぐには揺らがない気がする。

 このMVにはあまりに「人間らしい」映像のカットアップが無数に入り込んでくる。「らしい」というのは人間だから得られる刹那、いとおしみみたいなもので代替がないもの。観葉植物をささやかに飾ったり、手紙を封入したり、学生が海辺を歩いたり、ベビーベッドで赤ん坊が寝ていたり、花束の香りにそっと添ってみたり、母親と子供が風船で遊んだいたり、と無数の他愛なくも、それを他愛なさと極言するにはかけがえのない人々の生活の営みが描かれる。これをすぐに仮構/複製化しようとしても、究極的にはまだできないだろうと思う。そして、美しい弦楽器の音色と古川麦の優しい歌声のなかで、自身など変な感覚だが「人間で、まだよかった」と感じてしまう。曲自体は2014年のファースト・アルバムの力作『far/close』からのものだが、当時、彼がHPに寄せたコメントに「遠くても近く感じたり、近いけれど遠く感じたりすること。例えば今、自分が奏でる音が、遠い地球の裏側の窓辺で耳を澄ましている人にも届いて、全然違うところにいるのにすぐそばに感じられたりすること。」の大事さをアルバムに込めたと綴られていて、今の感覚で聴き直してみても、腑に落ちる。現在も多岐に渡る活動を続けている才人だけにどこかで彼の姿を見る機会もあると思うが、遠近する五感の揺れを確かめるためのひとつとして、自分の中にしかない追憶の向こうを確かめる導線になるような機会になれば、と。
(2017.2.10) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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