PUFFY『パフィピポ山』 Next Plus SongAdele『Hello』

Max Richter
『Dream 13』

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 今年の汎的な象徴は、世界内でアデル『25』に尽きるかもしれないが、彼女の声にソウル・ミュージックのしなやかさを見たり、切なさを想いながらも、癒し、安息を感じるなどの声はあれど、音楽はやはり無力ではなく、届くべき場にはしっかり届くのを示したのが何より鮮やかだった。『25』は決して派手で装飾過多な作品ではない。同時代性という意味でも。しかし、滋味深く、何度も聴くほどにじわじわと染みてくるような、何かと疲弊した世の中に対しての処方箋としての機能を持ったようなところも興味深かった。

 このところ、どうにも、「情報」と「知識」の差異について考え、周囲とも切に対話することが増えた。「情報」とは例えば、自分で形成した規定のタイムラインみたいなもので、今日のテレビは、明日観たとしても“今日のテレビ”だ。「情報は動いている」ようで、ガラス越しの標本のように留め金されているといえる状況は強まっており、寧ろ今、ネット等でなんでもサーチできるようで、的確なものに近道するには、より遠くなっている感は否めなくなっているのを思う。それならば、専門家や然るべき知識を持つ人に多少の畏敬と労力を持って、会うなり、話したほうが「早い」のもある。そこを人工知能が補填する余地が後々においてはあるとしても、情報を知っている、ということ、と、知識を携えた上で何を考えるか(判断するか)の幅は実のところ、広がっているのを痛感する。

 専門家たちのコミュニティで交わされる暗号のような言葉はそのままに、先へ向かう。先とは、明るい将来を指すばかりとは限らない。でも、暗い将来のために交わし合っている会議ばかりではない。

 アデルが世界の象徴の一つならば、筆者にとって、マックス・リヒターのこの作品、作品を巡る背景がそうといえた。ドイツ生まれのポスト・クラシカルの枠を越え、サウンド・コンポーザーとしても多彩に、ヴィヴァルディの『四季』のリコンポーズなどでも話題を浴びる気鋭であり、この曲を含む『from Sleep』は更に奥深い野心的な試みを進め、注目を集めた。

 『from Sleep』自体は1時間ほどのアルバム・サイズの彼らしい細やかで悠遠な秀麗さが活きた音像が揺れながら、安らかに微睡みを促すような佳作で、このMVでもその一部を表象している。だが、これは無論、『from Sleep』というアルバムであるものの、一部でしかない。というのも、“from”とあるとおり、デジタル・リリースされ、ディスク・セットとしては9枚組となる8時間に渡る『Sleep』がメインともいえ、そこには「眠りを体験する」ための構成と、静かな音の航海があるからだ。8時間を一気に聴く、という体験はどうにも時間、体力的に難しいと感じるかもしれないが、『Sleep』がもたらそうとしている何かが今年以降、新たな光を感じさせるリスニング体験の可能性をおぼえたのも確かで、それはジャンルを越えてゆくだけでなく、体験するための音楽はより刹那的に費消されるのではなく、繰り返され、巻き戻し地点が常に違うように個々において憶えられ、焼き付け直されるのではないか、ということで、それは“情報としての音楽”に対峙するのではなく、また、違った音楽の地平を切り拓く意味を持つ期待を帯びる。音を体感するには知識が要る。しかし、気構えや小難しさは要らない。『Sleep』にあたっては、アメリカの神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンの睡眠中の意識への助言を得て、リヒター自身が睡眠(学ともいえるもの)について徹底的に考察をすすめたという。そういうところも含めて、音楽とはまだまだ時代とせめぎ合い、簡単には風化されず、個々の中で一回性の体験を訴求し続けるものなのだろうと思う。
(2015.12.7) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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