Kurt Vile『Pretty Pimpin』 Next Plus SongMassan × Bashiry『Timely』

Floating Points
『Silhouettes』

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 少し早いが、各々にとっての2015年とはどうだったのだろうか。もう1月のことが遠い過去のように思えてしまうくらい、激動で目まぐるしく、後世においても一つの変わり目の年になるのではないか、と感じるが、片や音楽は立体的に精巧さを増していきながら、身近になりすぎて、その身近以外が「靄の中、分からなくなる」瀬もあったかもしれない。月定額で無限に聴ける、アクセス権を持てても、結局、関連(Related)の中に埋もれてしまう、という言い方も出来るが、領域侵犯を許さないコミュニティ・サイドの無言要請もあり、例えば、日本のハロウィーンが熱狂を帯びた仮装パレードの列を長くさせるほどに筆者はベーシックな部分でより声とヴィジョンの共振し過ぎない抽象性を求めているのかもしれない、と潜在的な無意識の束を慮った。

 「声」には快楽性/政治性がある。でも、拡声器を使って魅惑的な演説をする声を決して「政治性」と指す訳じゃない。でも、政治的に快楽性を帯びたヴィジョンは射幸性を持つ。要は、声の肌理の係累は風景を糊塗し、抽象化させる。80年代、いつぞやのポストモダニズムにおける「人々の文学の外観教訓に晒される機会減少」などの類いとは別に、今は、意味生成における不可分たる自動応答に「甘受する」ことがひとつの退却、快楽性であるのならば、コンテキストの精密さより、断絶の敷居で戯れる方がむやみに傷つかずに済む。何に「傷つかずに済むか」というと、あらゆる事象に纏いつくコノテーションの数々といえるかもしれない。

 MVと音像が適応するほどに、音楽の枠組みを越えてくる声が聴こえる場合がある。このFloating Pointsの「Silhouettes」もそうだった。タイトルどおりの影絵をなぞるような、幽遠な風景にライト・ドローイングが無数に舞い踊り、そこに美しい声と電子音が被さり、形式美ではない変則、細切れのままで抽象的な彼岸を想映させてゆく。実際、映像がシューティングされた場所は、スペインとポルトガルの国境の町、知る人ぞ知るリオ・ティントが含まれているというのも興味深い。なお、Floating Pointsはマンチェスター出身のUKのサム・シェパードの別名義であり、彼はサウンド・プロデューサーとしてのみならず、DJやレーベル・オーナー、サイエンティストまで多彩な顔を持ち、00年代後半から注視を浴びてきた。ただ、この名義ではファースト・フルレングスとなる『Elaenia』を今年、満を持してリリースした。初めて彼の音楽に触れる人でも取っ付きやすいロマネスクと声から画までを架橋するエレガンスがある。世界中の幾つもの春が終わり、長すぎた夏が終わり、秋と冬の間に季節感を抜き取った長い歴史に伴う傷痕が増える今、こういった音楽が訴求する抽象性は欠かせないように思える。“影絵の向こう”にこそ、未来に帰る現実がある。
(2015.11.19) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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