下問晶子『サンバディラ』 Next Plus SongNUMBER VOGEL『未来色』

中納良恵
『濡れない雨』

 EGO-WRAPPIN'を知ったのは、多分に漏れず、FM、有線を中心にロング・ヒットした「色彩のブルース」だった。その頃は、クレイジーケン・バンドなどと含め、昭和歌謡リバイヴァルみたいな特集、カテゴライズも多く、00年前後は90年代のJ-POPのどことなくまだ狂騒的な余韻を引きずってシーンに対して何らかのカウンター性や再定義的な流れが混在していたように思える。また、「くちばしにチェリー」と濱マイクとのシンクなどサブ(カウンター)カルチャーへの導線への近づき方が違った形で浮かぶのも微笑ましい。だからでもないが、日本を問わず、00年代前半のガレージ・ロック・リヴァイヴァルが起きたときに私的に少し距離、齟齬があったのは、反動の反動だったのかもしれず、そう思うと、「色彩のブルース」は記号性の高い昭和歌謡的でも、キャバレー的でもなく、今からすると、新しい時代のブルーズだった気さえする。
 その後の彼らの活動、ライヴを幾度も観る内に、その雑食的でバイタルな力強さと、中納良恵の逞しさと優しさ、繊細さを行き来する声はより清んでゆくようで、この久しぶりのセカンド・ソロ・アルバムからの曲も奥行きが増し、一時期の松任谷由実が持っていた同時代的なブルーズの濃厚な香りが感じられる。翻るに、宮崎駿のドグマが強烈な形で提示された映画『風立ちぬ』で最後に、「ひこうき雲」が流れたときの重みは悲愴ではなく、この「濡れない雨」にも別離、悲哀、生死感を巡った似たような情感が滲む。2015年が、これまでのままで解決しないままの難題が地表化しだすような予感が既にあったとしても、また同時に、続いてゆく未来的な何かや僅かな希みへの歩みを個々に進んでゆくにしても、この歌の最後に《あ~お腹がへったなあ》と伸びやかに締められるように、複雑に混沌化するような社会の中でも、人間を動かす内的衝動とは基本、シンプルな生物的な何かなのだと思う。今年がどんなところのどんな誰にも、と極言できずとも、それぞれの身の丈の生活を全うできますよう。心から。

(※2016.12.21日現在、リンク先の動画が削除されているのを確認しました。レビュー文章は残しておきますが、動画を見ることは出来ませんのでご了承ください。)
(2015.1.6) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


   
         
 


 
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