“ザ・グレート・エスケープ”ではない形で煌びやかなロックが近年、日本中で多く生まれている。時代論と無理やり重ね合わせて、受容サイドの集態的無意識がその音楽をセット・インしたという差分はもはや前提契約性の問題になってくるので不毛だと思うが、今や“ステージの向こう”と“こちら”の境目は少しの想像力と軽い荷物一つ分のリテラシーと、サウンドから伝わってくるメッセージの連なる連景に広がりゆく無数のオマージュへの敬虔度によって試されるのかもしれない、そんな気さえする。彼らは、結成当初からバンドとしての存在感のみならず、ライヴ・パフォーマンスの高さには定評があり、現体制のずっと以前からの彼らを詳らかに知っている人もいると思う。
しかし、途程に紆余曲折を経たのもあり、ここで初めて出会う人もいるとも察する。この「JOY」からはスイートなポップネスに、ざらついた星砂のようなフィードバック・ノイズが浮遊性をもって、届いてくる。大仰だが、マイブラとフィッシュマンズが言語や時代差を越えて、もしも出会っていたら―みたいな夢想を考えると、それを音像に焼き付けることはそうはできないことと仮定してみても、彼らは果敢に試みようとしている清冽さも敷衍し得る行間がここでは麗しく滲む。新体制の或るミイは、オフィシャルHPでメッセージを寄せているきのこ帝国の佐藤、indigo la End、ゲスの極み乙女。の川谷絵音、などまさに現代のシーンのエッジにあるアーティストの中に肩を並べつつ、よりオルタナティヴなスタンスで研ぎ澄まされてゆくのではないか、という熱量が巡る。