はじめに)
近年は公式You TubeやVimeo等等でMVを発表して、その関連付けまでいかないケースがある。この前のフランク・オーシャンの急なリリースにも驚かなくなった。なので、今回の日本におけるビッグ・リリースのひとつ、スピッツの新作「醒めない」からあれこれ考えてみてもいいかもしれない、と短いながらこういう記事を書く。ガラパゴス化を進める日本の中で、悠然と立つアティチュード。そして、あらゆるまとめの中で、再評価がされ続けているバンドとして。筆者自身がスピッツに出会ったときは90年代半ばだったのもあり、まだSNSの発達もなければ、ミシェル・フーコー的な監視社会も台頭しておらず、のどかにCD、アナログ、または書店から雑貨店が併存していた。ただ、今、恒常性を保っている街は減ってしまった。グローバル化だけじゃなく、IoTの問題なども根っこにありながら、人間が「ヒト」に退化する過程で、その“いとま”を読む余裕がなくなってきたともいえる。だから、即決やTEDトーク、論破が受ける。それもそれでいい。ただ、分かり易いことは本当はその擬態の中で、内奥性から実は牙を向いているのだということ。スピッツの昨今のもどかしさを霧消させるこの2016年の様は凛然としている。ライヴと作品をリンクしているような最近作から見えたものから、「作品」として擬態して、いつものスピッツでありながら、しっかりキャリアを重ねたスピッツの矜持が見える。14曲の中に、移ろう儚い反逆性と、ロックへの忠誠心が過去のレジェンドへのオマージュ、そして、現在進行形のアーティスト、バンドへ向けての発破のように響く。ボウイもプリンスもいなくなった瀬に。
スピッツ「醒めない」
クロニクルを捻じ曲げる)
さて、今作は、バンド・サウンドというか、元来のパンク精神に立ち戻ったアルバムであり、そこかしかにザ・ブルーハーツや初期のエレカシや、ネオアコ的なペイル・ファウンティンズ、アズテック・カメラ、そして、チルウェイヴからのネオン・インディアン、ユース・ラグーン的な流れ、昨今のワンオクなどからの影響が総花的に纏められながら、歌謡曲的要素といつになく、切り詰まったファンタジーの馨りがただよっている。かれらは、いつもロックの亡霊を現世にコーリングするのが巧い。スピッツ史上、最も軽快な冒頭曲「醒めない」。これは「Crispy!」のそれを思わせながら、コステロ・アンド・アトラクションズのはじけていた時期を想い出しつつ、あくまで非常に真摯な外れ者としての曲となっている。ホーンと撥ねるビート。そして、覚悟を決めたような歌詞。ここでも書いた、そこからリード・シングル曲の「みなと」で、黄昏れながらも、あくまで前を向くまた会えるとは思いもしなかったゆえの、投企)
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キャリアを重ねたがゆえのセルフ・オマージュのようなうたから拡がるパースペクティヴに、「子グマ!子グマ!」では軽やかなロックンロールに泳ぐ。ここでもけもの道を往く逸れものの意識を融かしながら、ヴァンパイア・ウィークエンド・ミーツ・ディスコのような人力のサイケデリアが咲く。四曲目の「コメット」はドラマ主題歌もあってか、メロディアスで美麗な曲。スピッツの曲群のなかでずっと愛されるような「魚」のような滋味深くも切なさ、会者定離の距離感が滲む。儚さゆえに、いくつもの若手バンドの曲を想い出すかもしれない。それでも、五十路路近くの彼らがそれを唄う反逆性に胸打たれる。「ナサケモノ」、「グリーン」、「SJ」とたおやかでナイーヴな曲が続く。
今回のアルバムはライヴでの再現を勿論、予定されているだろうが、構成が麗わしい。『醒めない』の表題のままに。「ハチの巣」で、若手バンドへの牽制か、オルタナティヴ・バンドの矜持をみせる。尖ったようで、蝶の様に舞うイロニー。スピッツが何故に大文字に委ねて安寧的な何を求めないか、が解る。「モニャモニャ」はチルアウトのためのストレンジネスをモニャモニャ越しに柔らかく届ける。その郵便を受け取ってバグったように、暴れる「ガラクタ」は賑やかなトイボック・パンク。深読みできような歌詞でもあるが、あれこれ行き来しつつ、いつものファンタジーの狭間で複雑なリアリティをシンプルに刺す手法が活きている。期間ごとでセッションを区切っているにしても、このアルバムの内部は通底する初期衝動が巡っている。
渋谷、新宿の小さなライヴ・ハウス、今は亡くなったアーティストへの畏敬、サブ・カルチャーや異形な何かへの愛的ななにか。中野ブロードウェイに行った、あの感じ、下北沢、プリンス、ボウイの残映。筆者は東京にそこまで詳しくなくても闇鍋のように醒めない意識がここに、いいオトナのままで詰め込まれていて、それが反骨的でまた嬉しい。最後の「こんにちは」は、作詞・曲者の草野氏が言うようにザ・ブルーハーツのオマージュ的であり、同時に、このアルバムそのものが、妙齢のバンドなりに通過してきた長く険しいハイウェイを通じたゆえのロックンロールだからでもある。弱い犬ほどよく吠えていた、のではなく、か細くも吠えていた声が中心部からいまだファンタジーから醒めず、現実を見据えている人たちを射抜くような気がする。ここからまた。
「空の飛び方」、「ハチミツ」、「とげまる」などなど数えきれぬ幾つもの良質なアルバムをリリースし、シーンを引っ張ってきたバンドの「醒めない」という響きだけで胸がいっぱいになる。ライヴも美しいものになるだろう。
今翻るに深くは言及はしないものの、「ロビンソン」でのブレイクは間違っていなかったのだなと想う。今の感性で色んな世代が聴ける、そして、それぞれに感覚が変わる―それがスピッツの本懐なのだろう。ロビンソンの中も醒めていない世界観がふわりと聴き手を赦すからだ。赦されたものは、大きな空に浮かべる。
スピッツ「ロビンソン」