序)人称なき応答性
最近では「あなた」や「私」といった人称を使った表現群ではなく、彼や彼女、もしくは人称の気配、人格の使い分けをあえて忍ばせず、また、含ませぬままに展開する空気の名残を覗いている自己がもはや消失してしまっている気がする視点に紐づけされたドローンでまた、違う人称ではない審判の様な湿度が心身に絡みついている感覚の磁場を巡ることがある。
ただしく現実をスクロールし、小さな夢、努力を叶えていけば、報われる未来や相応の光が国家、共同体、個人同士は解り合えないとしても、シンクロしてくる何かはあるはずだ、とは旧態的な調律なのだろうか、というのは手垢のついた紋切型の疑義として、例えば、混み合う電車で席を譲った情景を撮る誰かが居る。でも、誰が撮ったかわからないまま、SNSの中にそんなか細い「個」の行動は表面張力が膨れ上がりコップから零れそうな誤配と賛同、惰性、どうでもいい、を攪拌し、一瞬で消える。消えて、みんなが降りるべき駅が来たら、何食わぬ顔で降りてゆく。「光の川」に阻まれて。
余談になるが、高校生の頃、まだそういったツールが全く根付いていなかったころに、駅までの帰り道が同じだった同級生の女の子が「こうして別れたあと、みんな、私の悪口とか言ってたりするんだろうな。」と不在す“べき”者としてのよくある嘆きをこぼしていたが、今は同じ場所に居合わせながら、グループや境線で、“不在”の中で、色んな対話ができる。「そうそう、分かる。」と首肯しながら、机上には別位相のコミュニケーションが沈殿してゆく。違う名札を使って、リアルなコミュニケーションの倦怠に抵触し、ささくれて、どこかで、このファミレス、カフェの雰囲気が耐えられないからどうにかならないか、とか書割のそれじゃなく、結局は、あなたはわたしだし、わたしは彼女で、彼女は彼で、そこで人称を問うには無理になってしまい、「みんな」はもっと換骨奪胎される。みんな、「みんな」に入っていないと心底、感じながら、入っているディレンマをどのようにも払しょくできないからで、マイ・ナンバーが始まれば、そこに「みんな」が在る。在り続ける。難民や移民の方々が自身の帰属する共同体に来たら、「みんな」になる。こんな場所が嫌だと逃げたら、そこの人たちは果たして歓待してくれるのか、というのは、楽園のような場所があったら、もう奪い合いの末、そこは楽園のための入場門の待備せしめられているのではなく、レッド・オーシャンでコロニアル化、階級固定された不自由な段差があるに違いないからで、その「段差」がゆくゆくは分けなくてもいいものまで分け合ってしまうようになるのかもしれない。バリアフリーという概念だけが先走ってゆき、それぞれの入構許可証は遠くなる。
ふるえる手が押す背中
スガシカオの『THE LAST』の一曲目「ふるえる手」は、彼のザラッと、どこか、諦念と人間そのものの後ろ暗さを持った声で生生しく「いつもふるえていた アル中の父さんの手」と歌われる。興奮や期待で打ち震えるのではなく、アル中の亡き父の“ふるえている手”。その手、と、ぼくの決意や夢といった大きな感情が交錯する。アル中でふるえている手、とは背徳的で、不道徳なことかもしれない。ただ、日本では厳しくさだめられている大麻がアメリカでは勿論、連邦法では違法薬物と指定されながらも、医療用、嗜好用として緩和されてきている瀬があるのを知っている人も多いだろう。精神作用のないカンナビジオールを主成分とする大麻オイルが子供の痙攣治療に用いられ、相応の成果を上げていることや大麻内の主たる化学物質が人間の生体機能を調節する働きがあるのではないか、という意見もあり、研究が進んでいる、ということ。毒と薬は紙一重で綯う。朝の天気を見て、仕事にならないな、と朝から飲み始め、賑やかに仲間と町屋的な風情で「できあがっている」場所を通ると、何らかの異様さはありながら、でも、不思議に嫌な気はしなかった。10代の蒼いときの緊張したデートの際、そういった人たちの集う道を歩くと、慣れていない同伴者は腫れ物を見るように顔を顰めもしていた。その後、行政代執行で奇麗になったそこを別の機会に通ると、そのおじさんやおばさんたちをでも、想いだしてしまう。綺麗に漂白されて、治安維持の看板も並ぶ整備された分だけ、人が居なくなり、匂いがなくなった。それは変化で、ノスタルジアに浸っているだけだという意見も解るものの、“ふるえてしまう手”でも、そんな手でも誰かの背中を前向きに押せる、という所作が倫理的要請としてトゥーマッチになり過ぎてしまうためなのか、各状況が隔たれると、越橋のための文脈が過度に引き裂かれてしまう因果さを想う。その倫理的要請を誰が制御しているのか、野暮なことまで。
暗い谷から、始め直すこと
ウェールズの詩人R.S.トーマスが示唆した、危険なこととは、想像力が、真実でないことをいうという事と同義的であるならば、大多数の人たちの想像力と、本当ではないことの混同は、時制の受難のみならず、「命は地球より重い」といったもっともな、スローガンに、更に、切り子細工の中の安心に眼を塞いでいることの近似性をも視てしまう。偶さかの誤診でつけられた病名が正しくあるときも数知れずあり、スガシカオの過剰さも、本人の業だけではない、時代と自身を刺し違えるくらいの「個」の強度を高めないと、確実に言葉や表現のヒリヒリとした“あの“温度が奪われてしまう、という危惧があったのかもしれない。
2011年に所属事務所から独立してからのストラグルはまさしく、インタビューなどで再三、触れていた“生々しさ”をどう自分なりに命を削り、死ぬ気で取り戻してゆくか、を体現しているようで、勢いとエッジの中で伸び伸びしているようで、やはりインディーであることの掻痒さが垣間見え、“J-POP”というフックのある冠詞をあえて用い、そこから脱却しようとするさま、までがウィリアム・ブレイクの詩に倣う様な、「人間がやって来た暗い谷に帰り、また新しく始める」ための美しい混沌を見せてくれた。ファンク、弾き語り、エレクトロを駆使したライヴ、または配信。それらを怜悧に結う“暗い谷”。
例えば、「真夜中の虹」は現在、闘病中の友人に向けた、不穏にギシギシとピアノの軋みを立てるようなスピード感、ドラムのしなやかなリズム、スクラッチ・ノイズの中に、切実な想いと言葉の無力感さえ逆手に取る彼“らしい”曲。
サヨナラの輪郭だけ リアルになってゆくばかりで 想いは溢れ出しているのに また今日が終わった (「真夜中の虹」)
こういった印象的なフレーズを経て、彼はまた、「きみ」とともに七色の歌をうたえる日を希い、真夜中に射す虹を通して、ほのかな暗い谷から見上げる。痛々しさや悲痛さより、明日に向けての野放図な情念が耀(かがよ)う。
スガシカオ「真夜中の虹」
→今日のホルマリン漬けの向こう