「天川村(“Tenkawa”)」、「どんなときでも家に帰られる(“Coming Home Anytime“)」という示唆深い曲名が示すように、今、誰かにとっての異郷が誰かにとって、これからの故郷になり得る可能性は大いにある。そして、慚愧なことに逆も然り。昨今でも、遠きドイツを目指した膨大な難民の人たちの中では忘れられないわらべ歌の数々もあるだろうし、天災、人災に会われて遠地で暮らす人たちはラジオから流れるいつかの歌に涙を流すこともあるだろう。でも、それでいいのだと思うときもある。個々の思うままに行き着いた場がひとつの家を作りあげ、少しのコミュニティを生み、元々あった家の声を聞き継ぎ、細々と小さなつながりが残る。いずれなくなるかもしれなくても、その営為に無為性はないと思う。