自然や天気のように、奏でられる音楽として
m:まず、『The Pier』という作品が実際にリリースされてから周囲の反響、ライヴで行なってゆくことで作品そのものへの意識が変わってきたところはありますか?
岸田:生演奏で実際にやってみると、日本語の歌詞とメロディ、つまり歌が浮き彫りになる印象でした。それはまるで民謡のように、メッセージや時代背景よりも具体的な事象、つまり自然や天気、生理現象のようなものにフォーカスされていることのように思います。
m:私が印象的だったのは、“名づけられるのを待っている作品”というよりも聴き手、受け手側の多解釈により、より立体的になってゆく気がしました。多様な要素がアルバムとして構成の中で、曲単体が映えてくるというのも思いましたが、コンセプチュアル・アルバムとしての意味合いは考えていましたか?それこそ、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』、のような。
岸田:サージェント・ペパーズは、ビートルズファンの私にとって、なくてはならない作品の一つですが、同時に、そのスタンスの特異さやバンド内の複雑な人間関係を想起させるプログレッシブな作品だなぁと、齢を取るごとに思います。彼らが、思った通りのコンセプトアルバムを作ったかと言うと、またそれは違う話なような気がしてならないのです。
向こう側と、こちら側の間で
違いがあって、当たり前なこと
m:くるりの音楽は、同時代性がありながら、絶妙にカウンター的でもあったと思うのですが、『THE PIER』は音楽の可能性を広げるだけでなく、ポリティカル・コレクトネスのような社会的偏見へのカウンターをも想起しました。このように聴き手側の解釈しだいで、より立体的になるアルバムに思えます。多様な要素がアルバムに詰め込まれることで、一つ一つの曲がより映えるようです。“遊び”の部分も含めて、それぞれの曲により強度があり、世の趨勢への反射鏡としての役割を担っている。本作を通してそう感じます。こういった解釈はどう思われますか?
岸田:当たり前に思われていることには常にカウンターが産まれ、ミイラ取りがミイラになる、といった事象を目の当たりにします。物事はバランスだと思いますし、普段は何事も丸く収めて生きていたいと思っています 笑。ただ、カウンターのカウンター、そのまたカウンターで有り続けることが、創作の意欲にもなりますし、この時代を生き抜く術だとも思っています。社会的偏見、というものについての考えが固有のものとして注目を浴びたり、ファッション化することについては、強い違和感を覚えます。ひとつひとつは違いがあって当たり前だと思っています。
囚われず歌える、うた
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