京都の桜

     無名の美を楽しむ心  文=大島栄二

一度は見てみたかった、京都の桜

 4月は桜の季節。僕の暮らす京都も桜に彩られた。

醍醐寺霊宝館の枝垂れ桜


 桜は紅葉と並び京都観光の目玉だ。だが瞬間観光客数は桜の時期が最大ではないだろうか(あくまで想像だけれども)。紅葉は数週間に渡り見頃が続くが、桜はそうはいかない。見頃はせいぜい10日ほど。週末に限定するなら運がよくて4日、悪ければ2日しか見物することが出来ない。当然市内のホテルは予約で埋まる。東京在住の頃、京都の桜に憧れていた。見に行きたかった。JR東海の「京都行こう」CMを見るとうずうずした。でもなかなか行けないし、行くにしても数ヶ月前に宿を予約する必要から、開花の見頃時期など判らぬうちに旅程を決めなければならない。開花時期が1週間ズレれば満開を見ることはできないのだ。旬に出会えるとは限らない、まさに高嶺の花だった。

 旅をしてまで見たい桜はどんなものか。結局は有名な桜ということになる。円山公園の枝垂れ桜、醍醐寺の枝垂れ桜。哲学の道の桜、仁和寺の御室桜。清水寺の桜に龍安寺、東寺、平安神宮に毘沙門堂の桜。数え上げたらきりがない。そして実際に行くと綺麗だ。桜見物の人も多い。そりゃあそうだ、京都中のホテルが桜見物の観光客で一杯なのだから。


名もない桜の美しさ

 僕が京都に暮らすようになって今年で3度目の春。実はもうそういった有名な桜はあまり見に行かなくなった。飽きたのか?桜がキレイに思えなくなったのか?そうではない。有名どころでなくとも、京都には名もない桜が沢山あり、それらがいずれもキレイであると気付いたのだ。全国から集まる観光客で大混雑の有名桜を見ずとも、京都の桜を楽しむことは出来るのだ。

 いくつか紹介したい。京都で最初に感動したのがオフィスのすぐ近く、京都地方裁判所東側の通りに植えられている枝垂れ桜並木。ここの北側には京都御所があり、観光客ならそちらに行くだろう。すぐ東には鴨川が流れている。観光客ならそちらに行くだろう。だがここの枝垂れ桜はピンクがとても強く出てて、美しい。歴史のある桜と違い枝振りもシンプルで、過度な主張がなく、だから余計にハッとする。

 続いて高野川沿いの桜並木。修学院をやや南にいったあたりから出町柳までの約3kmにわたり、もうずっと桜。川端通に沿って植えられた桜並木だから、通りから1mほど下りて高野川の遊歩道を歩くと、まるで桜の屋根に覆われているよう。高野川はやがて賀茂川と合流して鴨川となる。だから僕はその川を鴨川と思っているのだが、やはり地図上では高野川。全国からの観光客にとって見るべきは鴨川であって高野川ではない。数年前のJR東海CMでは賀茂川沿いにある「半木の路」と呼ばれる桜並木を紹介したことがあったし、知名度的にも高野川沿いの桜より賀茂川沿いの桜の方が圧倒的に上。そんなこともあってか、高野川沿いに観光客の姿はない。だが、京都の桜並木を見たいのなら、本当はここがお薦めなのになと毎年思う。

 

そうだ京都行こう2007 春 CM


 出町柳にある長徳寺のおかめ桜。京都でも3本の指に入る早咲きの桜。下向きで濃いピンクの花びらは下から眺めるのに最適。ソメイヨシノは意外に白くて写真をとっても「?」という仕上がりになることが多いが、これはかなりの桜色。晴れた青い空によく映える。これ以上早咲きの桜に御池桜というのがあって2月にはもう満開になるが、さすがにそれでは春の到来を感じない。でもこの長徳寺のおかめ桜が咲いているのを見ると「ああ、春が来たなあ。もうすぐ京都の桜が始まるな」とウキウキする。

 それ以外にも無名の桜はある。僕が知らない無名の桜もたくさんある。桜の美しさは有名無名とはあまり関係なく、1本1本、1輪1輪がやはり美しい。人生で1度しか京都に来ない人には世界遺産の神社仏閣がいいだろう。でもそれだけが京都ではない。同様に有名な桜だけが京都の桜ではない。京都に暮らさなければそのことが解らなかった。解らなかったには解らなかった理由もあるわけで、別に恥ずかしいとかでは全くないが、やはり知ることで京都観も変わるし、僕の中の京都は一層豊かで華やかなものになった。


音楽の中の、無名の桜

 音楽にも同じことが言えるのではないか。仕事柄多くの無名ソングを聴く。それはもう玉石混淆。桜は無名でもどれも綺麗だが、音楽の場合はそうはいかない。つまらない曲はたくさんある。例えて言えば多くの音楽には桜もあり、雑草もあるということだ。多くの人が花見といえば桜を求めるように、音楽の中の桜にあたるような音楽を誰もが求めているのだろうと思う。で、音楽の中に桜のような音楽があるとすれば、その中にも有名な名物桜のような音楽もあれば、無名な桜のような音楽もある。

 有名で観光の目玉的な桜を見に行くとものすごい人で、情緒を感じる雰囲気ではないと個人的には思っている。ディズニーランドじゃないんだから、そうまでして見る意味あるのかという気がする。それはある意味数万人が集まるフェスのようなものだろう。客席最後列から豆粒のようなアーチストを見る。多くの人と共同体験をするということ自体に楽しさがあることも否定しない。繰り返すが、人生で一度だけわざわざ京都の桜を観に来る人には、どんなに混雑しようとも名物桜を見に行くのがいいと思う。だが、純粋に桜を愛でるのなら、京都に来ることなくとも、誰しもの近所に桜は咲くわけで、それを愛でればいいはずだ。観光客など来るはずのない生活圏にも素晴らしい桜はきっとある。東京に暮らしていた頃、僕は明治通から江戸川橋まで、神田川沿いの桜並木をよく歩いた。京都に移ってからは高野川の桜並木を毎朝歩く。観光客など来る由もない桜が、僕の心を豊かで朗らかにしてくれる。

 インディーズレーベルの仕事をしていると、無名のアーチストにたくさん出会う。彼らのライブはフェスではなく、武道館でもなく、けっして満員になることのない小さなライブハウスだ。ほとんど音楽を聴くことなく、数年に1度ライブに行く程度の人にそれを薦めるのはどうかと思う。だが、音楽を暮らしの中に織り交ぜる余裕のある人には、そういう場所に“咲く桜”に耳を傾けてはどうだろうかとお薦めしたい。もちろんライブハウスには桜もあれば雑草もある。ペンペン草さえ生えないような酷いステージだってある。それに当たる覚悟をしてまでライブハウスに出向く必要はない。このmusipl.comで紹介されているようなアーチストたちは、ごく一部を除いては小さなライブハウスで満員になることも無い客席に向けて日夜活動を続けている。こんなに良い音楽を奏でていながらもほとんど見向きもされていない。musiplのレビューを見て、動画を観て、なんとなくいいなと思ったら、どうか試しに足を運んでみて欲しい。そうすることが、きっとあなた自身の人生を豊かにしていくはずだし、そういう人が増えていくことで、日本の音楽はどんどん奥深さを増していくはずなのだ。

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2014.5.26.寄稿